はじめに
専門家派遣事業で各種認定の取得支援を行う際、事業者様から「なぜ健診結果を健保に提供する必要があるのですか?」と質問を受けたことはありませんか?
私は「国が『データヘルス計画』を推進しているからです」などと回答しておりましたが、ご説明に際し、自分の理解が十分でないと感じていました。
ということで、この場をお借りして、改めてデータヘルス計画、さらにより大きな概念としての『医療DX』をとりまく背景や課題について考察したいと思います。
2040年問題
今年2025年は『団塊の世代が全員後期高齢者入りした』年ですが、2040年も一つの節目。
85歳以上の高齢者人口がピークを迎える年と予想されています。
高齢者の健康状態は個人差が大きく、お達者な方も多いのですが、さすがに85歳以上となると要介護認定率は6割近くになり、救急搬送の件数や在宅医療の需要も一気に高まります。
ただ、高齢者の人口動態は地域によって違いがあります。
東北や山陰の過疎地域では、高齢者人口は2020年頃にピークアウトした一方、東京や大阪などの大都市圏は2040年以降に最大化します。
つまり、過疎地域においては既にベッド数などをダウンサイジングしていくフェーズに入っているのに対し、大都市圏ではこれからの最大化に備え、いかに医療・介護体制を拡充していくか、と課題の中身が異なるのです。
いずれにしても、医療介護の担い手である生産年齢人口は地域を問わず大きく減少しています。
適切な医療介護サービスを、地域や世代に関わらず全ての国民に提供するために、医療DXの推進が欠かせない、ということです。
医療DXとは
保健・医療・介護の各段階において発生する情報やデータを、全体最適化された基盤を通して外部化・共通化・標準化することで、国民がより良質な医療やケアを受けられるように、社会や生活の形を変えること。
基本的な考え方は、①国民の健康増進②シームレスかつ質の高い医療サービスの提供③医療機関の業務効率化④システム人材の有効活用⑤医療情報の二次利用の環境整備、である。
(令和5年6月「第2回医療DX推進本部資料」より)
主な取組
この度の通常国会(令和7年6月22日閉会)では法案成立しませんでしたが、来る臨時国会で『医療法等改正法案』が可決される見込みです。
その中で明示されているのは、主に下記の通りです(一部実施・着手済み)。
①マイナンバーカードと健康保険証の一体化
②全国医療情報プラットフォームの構築
- オンライン(マイナ端末)による資格確認:加入保険者や本人の確認(顔認証でなりすまし防止)。
- 電子処方箋:医療機関と薬局を結び、重複投与や併用禁忌(薬の飲み合わせ)をチェック。
- 電子カルテ情報の共有:医療機関同士や、医療機関と介護施設で情報共有することで、医療サービスの質の向上と効率化を図る。
- 利用者(患者)が自らの健康情報をマイナポータルで随時閲覧できる。
- 診療報酬改定等への速やかな対応。
- 医療情報の二次利用 ※詳細後述
医療DXのメリットやユースケース
①災害時対応
避難生活においておくすりが切れてしまったら大変だが、患者さんは大抵、薬の名前を憶えていない。
でも、DBがあれば、診療や投薬の情報が確認できる。なお、被災者がマイナカードを持ち出せなかったり、マイナカードリーダー端末が避難所にない場合でも、特例措置で個人情報からの検索が認められている。
能登半島地震では、1万件を超える医療情報提供が行われた。
②救急搬送時
救急隊がマイナ保険証からその方の情報を取得し、病院選定に活用する(ex.この方は○○総合病院をかかりつけにしているので、まずここをあたろう)。
③医療と介護のシームレス化
患者様の入院と在宅医療・介護が交互に入れ替わっても、医療機関と介護サービス事業者が情報連携できる。
④健康意識やヘルスリテラシーの向上
診療や服薬のみならず、母子手帳情報、健診、特定保健指導、ワクチン接種等、その方のあらゆるヘルスケアデータ(PHR)が一元管理されるので、ユーザーがマイナポータルでの閲覧を通じて自らの健康状態・変化を認識し、予防等に努めることが期待できる。
④データ活用は制限可能
ユーザー(患者)は医療機関ごとに閲覧可能範囲を制限できる(たとえば、精神科を受診している事実を皮膚科にはシェアしない、の選択が可能)。また、診療データは原則5年で消去される。
Cf.年金データは生涯に渡って管理する必要がある。
なお、ユーザー側も去ることながら、医療サービス提供者側の業務効率化メリットは数値で確認されています。
たとえば、返戻レセプト(ex.この方は既に当健保の加入を外れているので、診療報酬をお支払できません)の件数は、令和3年4-10月期の月平均176,672件から、令和6年4-10月期は5万件程度にまで激減しています。
さらに、マイナ情報をプラスチックカードではなく、スマホの中に入れてしまう方向でも検討が進んでいます。
「なくした、忘れた」に伴う経済損失も馬鹿にならないだろうことは想定の範囲内ですよね。
二次利用、さらに今後の展開について
上述の「健康意識やヘルスリテラシーの向上」のデータ利活用例として、ご存知『健康スコアリングレポート』があります。
とはいえ、2024年度版(2023年度実績分)のレポート作成件数は、保険者単位(健保組合、公務員共済など)で約1,600部、事業主単位で約43,000部に留まります。
一方、保険者や事業主単位の「平均データ」では、経営者に何かの気付きを促せるとしても、従業員個々にとって有用な情報とは考えにくく、当然意識改革や行動変容には繋がらないのではないかと感じます。
個人レベルにおいては「マイナポータルへのPHR格納→スマホでチェック」の仕組みが同時並行して浸透していくと良いでしょう。
平均データ、もしくは単なるビッグデータでは役に立たないこともあります。
マシュー・サイド著『多様性の科学』にも、平均値の罠について書かれています。
戦闘機の事故が多発するのは、パイロットの技術ではなくコックピットの設計に問題があるから。
パイロットはみんな身長・体重・脚や腕の長さが違うのに、“パイロットの平均値”を元に設計したのでは、個々のパイロットにとって最適であるはずがない。
事実「平均値と全く同じ身体データを持つパイロット」はただの一人も居なかった、という内容でした。
ごった煮のビッグデータからの平均値や匿名化情報では、精緻な分析や長期の追跡に限界があります。
従って、創薬における研究開発や安全性検証、疫学調査などにおいては、仮名化情報(名前こそ分からないが、ある特定個人の医療情報が紐付・一元化されている)が活用できることが望ましいと思われます。
個人情報管理に敏感な欧州諸国でも、臨床情報は仮名化され利活用できるようになっているそうなので、日本でも法整備が進むことが期待されます。
なお、医療DXには、様々な障害があります。
主要なプレーヤーに、国・自治体、医療機関、保険者等が居ますが、地方ではシステムベンダーが不在だったり、コロナ禍以降は全般的に病院経営が厳しくなっている事情があります。
病院がサイバー攻撃に遭ったニュースも記憶に生々しく、情報セキュリティ対策や医療従事者のIT研修も負担になりそうです。
何よりも、医療サービスの需要者は高齢者が中心なので、DX化への抵抗感が大きいです。
そんな中、「紙の保険証はもう発行しない」を断行したのは、相当なショック療法だったかも知れません。
既存のプレーヤーが体力不足なので、なるべく早く、製薬会社や医療機器メーカー、さらにAIやロボットなどのテック系事業者など、民間企業に医療DX推進の一端を担ってもらえるようにすることが必要でしょう。
日本は世界に誇れる国民皆保険の国であり、データの量や悉皆性は大変充実しています。材料に不足はありません。
医療DXがさらに健康寿命を延ばし、健康格差を縮小してくれることに必ずや貢献してくれると期待しています。
檜山敦子
中小企業診断士・健康経営エキスパートアドバイザー